ブノワのメインは「リ・ド・ヴォー、フォア・グラ、雄鶏のとさか、エクルヴィス」

美味い。こってりした、お腹にどっしりくる一品こそ、フランス料理の極地ではないか?

日本では絶対に食べられない、迷いのない重たさに、私は心身ともほっとする。

思い出す。

・・・1996年に、ジョエル・ロビュションの リ・ド・ヴォーを食べた。benoit-1140284

ロビュション氏の手で調理されたリ・ド・ヴォーを食べたのは、その時が最後だった。日本料理の白子のように柔らかくねっとりしたテクスチャ。ソースは白っぽい、牛乳のようなもの。白に白。夢のように淡いリ・ド・ヴォーの一品を、私は一生忘れないだろう。

白子のような、リ・ド・ヴォー(日本語で「シビレ」というらしい)に巡り合ったのは、そのときが最初で最後だった。あれは、ロビュション氏の気まぐれだったのか?

表面をカリッと焼き、中身がぷりぷりし、しっかりと噛まなければならないリ・ド・ヴォーが主流だ。数年前、レストラン「アストランス」のシェフ、パスカル・バルボ氏に、ロビュションさんの「白子風リ・ド・ヴォー」を語ったら、「柔らかすぎるリ・ド・ヴォーは好きじゃないし、嫌いな人が多い」、と。

まあ、そうだろうと思う。白子が好きな人は結構少ないし、あの超柔らかでねっとりした食感を、フランス人、いや、西洋人が、好むとは思えない。
20年以上、私はリ・ド・ヴォーを食べるたびに、ロビュション氏の「白子リ・ド・ヴォー」を思い出す。いや、今食べているのがまずいとか、ロビュションさんのほうがおいしいとか、そういうわけではない。
ただ、リ・ド・ヴォーは私の「プルーストのマドレーヌ」なのかもしれない・・・

ここ、ブノワのリ・ド・ヴォーは当然ながら、カリッとタイプ。「当然」というのは、同じように表面をカリッとポワレしたフォアグラと一緒に出てくるからだ。

私はこの料理こそ、フランス料理のシンボルだと思うのだ。

昔のフランスでは、肉の塊よりも、内臓、頭、足、舌など、「アバ」(日本語だとモツ?)、簡単に言えば肉以外の動物の部位を主に食べていた。リ・ド・ヴォー(仔牛の胸腺)とフォアグラのマリアージュは、まさにフランス料理。牛の臓物と鳥の臓物を合わせる。どちらも、胸が焼けるほど重い。フォアグラは、文字通り「太った肝臓」。無理やり太らせた鴨やアヒルの肝なのだ。つまり、血の味が強い肝臓に人工的に脂をギュウギュウ足したもの。この描写は気持ちが悪いが、それが旨みなのだ。

最近の料理は、果実の酸味と甘み、バルサミコ酢や柑橘の皮で、この濃度を和らげ、現代人に食べやすくする。しかし、ここは違う。ソースも、こってりしたジュ・ド・ヴィアンドにクレームを足し、より濃厚にする。四次元の味が五次元、六次元と広がっていく。モーパッサン、バルザック、デュマが描写する、純粋フランス料理はこうなのだ。

おふくろの味?ではないかもしれないが、私はこの地で育った。だからか、日本で二週間も過ごすと、身体が求めてくるのはこの濃度だ。

私のお茶漬けは、ブノワの「リ・ド・ヴォー」かもしれないな・・・。

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デザートは抜き。マドレーヌを二つだけいただいて、今日は胃を労わります。

超クラシックスタイルの「茶菓子」は、しっかりとデカく、身が締まっている。

プルーストのマドレーヌはこうだったのだろう。

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老舗のお勘定は古い皮張りで。

どの国でも、老舗は永遠に生き続けてほしい。